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法律のお勉強

職権による過失相殺の可否

2012.10.01 (Mon)
〔1〕裁判所は、加害者(債務者)から過失または過失相殺の主張がない場合にも、職権で過失相殺(民法418条・722条2項)をすることができるか、すなわち、弁論主義(第1テーゼ)は過失相殺に適用されるかという問題である。
http://hounokiso.blog97.fc2.com/blog-entry-252.html

弁論主義とは、判決の基礎をなす事実の主張、証拠の収集・提出を当事者の権能と責任とする建前をいう。弁論主義の内容は3つに分けられるが、そのうち第1テーゼは、「裁判所は当事者の主張しない事実を判決の基礎としてはならない」というものである。ここにいう事実は主要事実である。


話を戻すと、この弁論主義(第1テーゼ)は過失相殺に適用があるかという問題は、次の2点をどのように考えるかということがポイントとなる。すなわち、(a)過失相殺を構成する事実の主張の要否と、(b)過失相殺を権利として行使する旨の主張の要否の2点である。これらを肯定するか否かによって、3通りの考え方がある。

①弁論主義第1テーゼの適用なし
過失相殺を構成する事実が証拠調べの結果明らかになればよい(ab共に否定)。
②弁論主義第1テーゼの適用あり
過失相殺を構成する事実は主張に表れていなければならない(aのみ肯定)。
③弁論主義第1テーゼの適用あり
過失相殺を構成する事実の主張のみでなく、過失相殺を権利として行使する旨を主張することが必要である(ab共に肯定)。


この問題について最高裁昭和43年12月24日判決は、「民法418条による過失相殺は、債務者の主張がなくても、裁判所が職権ですることができるが、債権者に過失があった事実は、債務者において立証責任を負うものと解すべきである」としている。
*この判例の立場は、上記②に近いようであるが、過失相殺の主張は不要であるとする点は明らかであるものの、過失相殺の基礎となる過失の主張を要するか否かについては必ずしも明らかではないと評されている。


〔2〕この論点は旧司法試験で平成21年第1問と11年第2問に出題されている。【旧司法試験H21年度第1問】は、「X は、自転車に乗って道路を横断中、Y が運転する乗用車と接触して転倒し負傷したために、3000万円の損害を被ったと主張して、Y に対し、3000 万円のうちの2000万円の損害賠償を求める訴えを提起した。この訴訟において、Y は、請求棄却を求め、事故の原因は急いでいたために赤信号を無視したX にあると主張した。裁判所は、事故はYの過失によって発生したものであり、Xの被った全損害の損害額は2500万円であるが、整備不良のためにブレーキがきかないまま自転車を運転し赤信号の道路に飛び出したXにも5 割の過失があると認めた。裁判所は、どのような判決をすべきか。」という問題である。


この問題は、一部請求における訴訟物をどのように捉えるか、過失相殺の方法をどのように考えるかという点と絡めて出題されているが、ここでは職権による過失相殺という論点に集中する。  


本問では、裁判所は「整備不良のためにブレーキがきかないまま自転車を運転し赤信号の道路に飛び出した」という事実を認定し、損害賠償額を調整するに当たっての過失割合を5割であると認めている。つまり、本問は、裁判所は、過失相殺を構成する事実を認定しているけれども、被告たるYから過失相殺をする旨の主張がなされていない事案である。  
上記〔1〕の3つの学説によれば、①②では裁判所は過失相殺をすることができるが、③では過失相殺はできないということになる。判例によっても、過失相殺をすることができることになる。


〔3〕〔めも〕過失相殺制度は、公平ないし信義則の見地から損害賠償額の調整を裁判官の裁量に委ねた制度である。この趣旨からすると、被告による過失相殺をする旨の主張がなくても、裁判官は公平ないし信義則の見地から債権者の過失を斟酌して損害賠償額の調整を図ることができるはずである。ただ、当事者に対する不意打ちは防止すべきであるから、過失相殺に使われる事実の主張は必要であり、当事者から過失相殺に使われる事実の主張がないのに職権で過失相殺をすることはできないと考える。このように、過失相殺をするには、当事者からの過失相殺をする旨の主張は必要ではないが、過失相殺に使われる事実の主張は必要であると考える。
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